中央競馬と地方競馬の交流2

中央競馬と地方競馬の交流2

1981年に創設された日本の代表馬と世界の名馬が激突するジャパンカップ。その舞台にも地方競馬の代表馬も出走することができるようになった。その第一号は1983年のダーリンググラス。その後、1985年にはロッキータイガーが2着になった。

1986年に地方競馬招待競走と中央競馬招待競走は変更され、地方競馬招待競走はオールカマーに、中央競馬招待競走は帝王賞にその役割を移すこととなった。また、中央競馬も地方競馬もない生産者の立場の人間が中心となって団体を作り、1989年、ホッカイドウ競馬にブリーダーズゴールドカップを新設し、この競走には中央競馬所属も全国の地方競馬所属も隔てなく出走できるようにした。

その後、大きな転機となったのは1995年である。「開放元年」と称し、多くの改正が行われ、多くの中央地方指定交流競走が設けられた。

(指定競走…中央競馬なら地方競馬所属馬に、地方競馬なら中央競馬所属馬に出走を認める競走、交流競走…地方競馬が、他地区所属馬に出走を認める競走)

中央競馬のグレードワンレースのトライアルに地区の代表馬の出走枠を設けて、所定の着順までに入ることでグレードワンレースの出走できる道筋を造った。

その年に笠松のライデンリーダーが4歳牝馬特別を制し、牝馬三冠競走に全てに出走し、話題を作った。

また、初年度という事もあり地方競馬側の準備は整いきっていなかったが、それでもライデンリーダーの他、足利のハシノタイユウ(皐月賞)、笠松のベッスルキング(菊花賞)がトライアルで上位入着しGIに出走している。

東京大賞典などの地方競馬の大レースと呼ばれる競走に中央馬の出走枠を設けた。

1995年にライブリマウントが各地の地方競馬場で強さを見せつけた。またこの年のエンプレス杯でホクトベガが18馬身の圧勝劇を演じたのは川崎競馬場であった。このように多くの競走で中央競馬所属馬と地方競馬所属馬の対戦が行われるようになった。

地方競馬の2歳馬戦に認定競走制度を導入し、この認定競走に勝利した競走馬に対しては中央競馬の特別指定競走へ地方競馬に所属したまま出走できる資格を与え、また中央競馬への移籍に対しては、従来の馬房数とは別に、認定馬房による移籍を認めた。

地方競馬の条件級の中央指定競走も1994年より行われる。