競走馬の海外遠征2
1986年に当時日本最強馬であったシンボリルドルフがアメリカに遠征したが、1戦で故障、そのまま引退を余儀なくされ、当時遠征中であったシリウスシンボリが1987年に帰国するとそれ以降はしばらく遠征が途絶えることとなる。
1993年から香港国際競走で日本馬が招待されることになると久々に遠征馬が現れるようになり、1995年に香港国際カップでフジヤマケンザンが海外GI初勝利(香港のローカルグレードによる。国際グレードはGIIだった)を収めると、その後香港遠征は毎年恒例のこととなった。
1997年にはホクトベガがドバイワールドカップに出走するも競走中の事故により故障を発症し安楽死処分となった。翌年現地ではホクトベガの名を冠した競走が施行されている。現在海外のレースで死亡した馬はホクトベガだけである。
1998年にシーキングザパールがモーリス・ド・ギース賞で日本調教馬による海外国際GI初勝利を収めた。その翌週にはタイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を制覇。年末にはミッドナイトベットが香港国際カップを制覇した。
1999年にはエルコンドルパサーが欧州遠征を行い、サンクルー大賞を制覇した。しかし、欧州最高峰競走の凱旋門賞は近年屈指の好メンバーと呼ばれた出走馬の中で、2着に惜敗。凱旋門賞同日のアベイユ・ド・ロンシャン賞でアグネスワールドが勝利を収める。
2000年もアグネスワールドは遠征を行った。ロイヤルアスコットのキングススタンドステークスでは、惜しくも2着であったが、続く欧州のスプリント最高峰の競走ジュライカップで2勝目を飾った。
2001年にステイゴールドが香港ヴァーズで日本産馬の日本調教馬による海外国際GI初勝利を収めた。2001年の香港国際競走は日本調教馬の勝利ラッシュで、エイシンプレストンが香港マイル、アグネスデジタルが香港カップと4つのうち3つの競走が日本調教馬の勝利であった。エイシンプレストンはその後も積極的に香港へ遠征し、2002年と翌2003年のクイーンエリザベス2世カップを連覇、日本調教馬初の海外同一GI連覇を果たした。
専ら外国への遠征は中央競馬所属馬が行っていたが、2005年に地方競馬の船橋所属のアジュディミツオーがドバイワールドカップに出走した。
この2005年にはシーザリオがアメリカンオークス招待ステークスを、ハットトリックが香港マイルを制覇したが、この2頭はともに角居勝彦調教師の管理馬であり、日本の調教師が同一年で外国での勝利馬を2頭出したのは初めての事である。
2006年には、コスモバルクがシンガポール航空インターナショナルカップを制し、地方競馬所属馬として初めて国際GI競走の勝利をもたらした。